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2015年5月 三陸鉄道縦断の岩手旅行1 南リアス線終点まで の続きです。
2日目は、南リアス線と北リアス線の間をバスで移動しました。
釜石駅~宮古駅 路線バスを乗り継ぐ
南リアス線の端っこ「釜石駅」と、北リアス線の端っこ「宮古駅」までは、震災前はJR山田線の電車で結ばれていました。
こちらはまだ全く復旧しておらず、つい先日、JRから三陸鉄道に移管して復旧を進めることになったというニュースが出ていました。2016年秋から順次開通予定だとか。
※追記
2019年3月24日、かつてJRだった釜石~宮古間もすべて連結して「リアス線」となり、3線がつながりました。
で、2015/5の旅ではその間のルートは路線バスを乗り換えて進んでいきました。この状況は私もこの時調べるまで知りませんでした。
ちなみにここのバスルートは乗換案内サイトなどには出ず、検索するととんでもない遠回り電車ルートが出てきました。
バスは1時間に1本以下だったので、時間をしっかり調べないとロスタイムがかなり出るため、接続時間等を調べるのに苦労しました。
道の駅やまだで乗換
バス便によっては道の駅やまだの乗換で結構待つのですが、地元の特産品が多数売られていて中を見ていると結構楽しめます。
ここで初めての「すっとぎ」なるお菓子を発見しました。
成分は大豆、米、砂糖、食塩。ずんだ餅みたいな味かな?と一番小さいのを買ってみました。
お味は…ちょっと粉っぽい感じの甘い豆味の団子かな。密度が高く、ずしっとしていました。
道中の被災地風景
バスの車窓から海岸を眺めていると、震災から4年経った今でも被害を受けた建造物が残っていました。この岩手県大槌町、山田町あたりは結構被害が大きかったようです。
こんなハシゴの鉄骨までグニャグニャです。
ガードレールのフェンスが海側に倒れています。津波が引いていく時の方が破壊力が強いというのがよくわかります。改めて津波って恐ろしい…。
土台部分だけ残った家もありました。かつてはここに家が建っていて、人々が暮らしていたんだなあ。
海はきれいでしたが、海岸にはいまだに農作業の道具やぬいぐるみなどの生活用品のがれきが転がっていたのが生々しいです。
青い看板がここまで津波が来たマークです。想像を絶します。
こちらは当時のそのまま残っている事務所かな?1階は骨組しかありません。
2階もだいぶ破壊されていました。
理髪店も1階のガラス窓がなくなって骨だけでした。
この場所に再建中の家は少なかったです。
ほぼ整地が進んでいましたが、4年も経ってまだ被災した建物が残っている現状にはちょっと驚きました。ここに住んでいた方はどうされたのかな…と、いろいろ考えてしまいました。
ところで、東日本大震災発生直後からしばらくの間、民間ボランティアを被災地に入れなかったということがありました。これに関して批判する声も多かったのですが、地元の方から伺った話では「火事場泥棒」対策だったとか。
世の中、人の不幸を何とも思わず、それをチャンスとばかりに盗みを働く人というのが存在するのですよね。残念ながら世の中いい人だけではないのです。
宮古駅に着き、次は2日目の目的地の浄土ヶ浜を目指します。